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アユタヤ王朝(1350〜1767年)

アユタヤはスコータイ王朝時代から貿易の中心地として栄えていました。1351年、ウートーン侯はアユタヤに首都を移し自らをラーマティボディと名のり国号をアユタヤとします。ランカムヘン国王の死と共に衰退した前王朝であるスコータイ王朝も属国とし、その後400年間にわたり政権を維持しアジアでも屈指の大国へと成長して行くことになります。

ボロムラーチャー2世はクメール帝国を打ち破り、続くドロムトライロカナート王はクメール帝国から取り入れた知識を元に中央集権体制を確立します。一方、領土の拡大にも成功しており、南はマレー半島までその勢力を及ぼしました。ボロムラーチャー2世はポルトガルなどの外国と交流を深め、代14第プラチャイ王の時代まで栄華を極めることになります。

16世紀になると隣国であるビルマの度重なる侵攻にあい、一時はビルマの属領となったこともありました。しかしナレスワン王がアユタヤの奪回に成功し、その後も攻め入るビルマ軍を阻止します。16世紀後半から17世紀にかけて、中国、インド、西欧を中心に各国の商人がアユタヤを行き来するようになり優れた文化が形成されました。日本も朱印船貿易で鹿皮、鯨皮などを輸入していました。

ちょうどこの頃、遠藤周作の著書『王国への道』で主人公となっている山田長政がアユタヤを訪れており、多数の日本人の商人がこの地を踏み、日本人町ができるほどでした。この一方で、ビルマからの進撃はなおも収まらず、14ヶ月間にわたり包囲された後の1767年4月7日にビルマ軍から一斉攻撃を仕掛けられ、一夜でアユタヤ王朝は陥落しました。

ここに33代、417年に及ぶアユタヤ王朝は幕を閉じました。

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タイの歴史と基本情報

タイ人のルーツは中国南部にあります。周辺をラオス、ミャンマー、カンボジアそしてマレーシアに囲まれているタイですが、どのような歴史を歩んできたのでしょうか。

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